伊達家


 サンプル版改造シナリオ −奇襲無し版− 2007/08/04

 直轄地6万5000石。臣従を含めて9万5000石から開始。宿敵は南陸奥の芦名家です。

 奥羽 ( 陸奥と出羽 東北地方 ) は大国が遠く、小国が多いので、通常版でもこの国力で全国統一が可能です。

 とはいえあまり遊んでいる余裕はありません。素早く奥羽を統一し、関東の北条家を侵略しなければなりません。

 ゲーム開始

 外交は行わず、隣接する武永家と相馬家を侵略。武永家を一人の武将で抑え、最初のターンに杉目城を空にし、攻撃を誘発。千代城から中村城を侵略。少数で攻めて敵を誘き出します。

 軍船がないのが痛いところ。最初から2隻作ります。政治7の武将は、杉目城を包囲する相馬軍にぶつけて兵力削除。当面戦力として使うつもりがないので、経費を減らすためです。留守家の武将も客将にして同様に。杉目城の守備兵も、「野戦を挑む → 1ターン目退却」で無理なく経費削減。

 1550年9月

 ここまでで奪い取った城はありません。最初の収穫後、陸奥畠山家から同盟要請。これを受諾。次の月に従属、その次の月で臣従させます。

 10月、11月と弱らせた中村城に総攻撃。これを奪い取ったことと、陸奥畠山家が傘下に入ったこと、開墾により、15万石に成ります。

 1551年1月 相馬家が同盟要請、武永家が臣従、両方受け入れます。なるべく大名家は潰さない主義なのです。ゲーム的には、後の叛乱を防ぐ意味もあります。
伊達家 奇襲無し版 1550年9月
1550年9月

 1551年2月 こちらから田村家と不戦同盟。3月従属。4月臣従。伊達政宗の嫁の実家を潰さずに済んで安心。これで葦名家を二方面から侵略できます。

 1551年4月。和賀義次が家臣になりたいと頼ってきたのでこれを登用。わざわざこんな小さなことを書いたのは、性が和賀だったからです。

 1551年5月。最上家従属。相馬家臣従。

 1551年9月 直轄地11万石 臣従含めて25万石。冬将軍に怯えながら、葦名家猪苗代城を攻撃。

伊達家 奇襲無し版 1551年9月
1551年9月
 1551年11月 佐竹家が1万の大軍で侵攻。軍船数で勝っていたので海戦を挑み、3,000ばかりの兵力を追い返すが、残り7,000に強襲される。佐竹家はこちらからの不戦同盟に応じない。唐突にこちらが二正面作戦を強いられる(笑)


 1552年2月 葦名家の猪苗代城を陥落。守備兵を入れて急いで佐竹勢へ取って返す……つもりが、佐竹家が不戦同盟に応じる。ついでに最上家も臣従。これで伊達政宗の母の実家を潰さずに済むと安堵。その後南出羽の調略を進める。

 1552年7月 葦名家の黒川城陥落。葦名家の力の大半を奪い去る。また、葦名家に臣従していた二階堂家が伊達家に乗り換えてくる。
 ここまでで南出羽の大名家は大宝寺家を除いて全て臣従。総力21,000ほどの兵力となる。事実上葦名家は壊滅させたため、残党処理のための兵力を残し、北進を計画する。

 1552年9月 直轄地20万4207石 臣従含めて57万5207石 全国六位の国力を持ちます。

伊達家 奇襲無し版 1552年9月
1552年9月

 この時点で北出羽の大名家も臣従させていきます。南部家からは同盟を申し入れられて受諾。

 1552年12月 大宝寺家の四つの城の内二つを陥落させる。これにて7万石から3万石にまで弱らせたので不戦同盟。二ヶ月で従属、臣従。南出羽統一。しかしこれにより全国1,2を争う大国、上杉家と隣接してしまう。この時上杉家は114万石。不戦同盟を申し込むが断わられる……と思ったら、向うから申し込まれる。プログラムのルーチンの結果なのでしょうが、なんだか(笑)

 1553年1月 葦名家の鴫山城 ( しぎやまじょう ) 陥落。後は越後にある津川城のみ。敵に倍する兵力で兵糧攻めをする。
 葛西家を従属。中陸奥の南と、北出羽の北西部は従属。南部家との不戦同盟を破り、侵略を計画する。この時伊達家74万石。南部家17万石。

 1553年7月 葦名家を滅亡させる。南部家は旗下の大名家を寝返らせながら侵攻。

 1553年9月 直轄地37万0648石 臣従含めて98万4459石 全国第四位。

 1553年10月 南部家 北陸奥の三戸城陥落。この時点で臣従させていた大名全てに寝返られています。哀れ……。

 1553年11月 南部家が従属志願。これを認め、蝦夷、北陸奥における不戦同盟を結び、北進終了。南陸奥から南下し、常陸の佐竹家を侵略する作戦計画を練る。この時の佐竹家は、直轄地22万3870石 従属2臣従5を含めて39万7835石
伊達家 奇襲無し版 1553年9月
1553年9月

 1554年3月 不戦同盟を破棄しても、佐竹家旗下の大名家の裏切りなし。臣従している岩城家と従属している那須家への攻撃を開始する。

 1554年6月 岩城家滅亡。

 1554年9月 南陸奥統一。直轄地は55万5713石 臣従含めて127万4796石 全国第二位。

伊達家 奇襲無し版 1554年9月
1554年9月
 1554年10月 常陸侵入。鹿島家が佐竹家から寝返り。

 1554年11月 大掾家が寝返り。

 1554年12月 江戸家が寝返り。

 1555年7月 旗下の大名家を全て失い、本領も犯され、佐竹家従属。安房に調略を進め、下総の結城家侵攻を計画。結城家は直轄地30万8016石 臣従大名八家を従えて61万0232石


 1555年9月 直轄地86万9814石 臣従含めて184万1626石 六月の時点で全国一位となりました。安房から結城家の勢力を排除。

 1555年12月 同時に攻城していた城を3つ落とす。これで結城家の直轄地が15万石まで下がる。堪らず旗下の真壁家、千葉家、水谷家がこちらへ寝返り。抵抗を断念し、結城家も従属。これを認める。

 次の敵はついに北条家。115万5085石。それでも全国六位でこちらの国力の半分程度。

 1556年1月 北条家との不戦同盟を破棄。これと開戦。
伊達家 奇襲無し版 1555年9月
1555年9月

 1556年9月 直轄地122万0277石 臣従含めて242万1960石 武蔵、北条家の江戸城、稲付城陥落。

 1556年10月 河越城陥落 早々に北条家を分断。あとは二分の一の力となった二つの敵を二回討つだけ。

 1556年11月 勢力が大きくなったためか、今まで臣従を渋っていた安東家、江戸家、古河足利家が臣従。30万石ほど勢力増大。

 1557年6月 武蔵の大半を奪う。ついに北条家から寝返り発生。藤田家。足利長尾家。

 1557年9月 直轄地182万4388石 臣従含めて366万8870石

伊達家 奇襲無し版 1557年9月 武蔵
1557年9月 武蔵
 1557年10月 上野への道が開けたので北条家と不戦条約を結ぶ。登用した蘆名盛氏を軍団長とし、陸奥、出羽の大名を旗下に南出羽、南陸奥から上杉家を侵攻する軍団を作る。佐竹家、南部家臣従。

 1557年12月 上杉家との不戦条約を破棄。本軍が上野、蘆名軍団が陸奥から越後を侵攻する。

 1558年4月 上杉家の城が上野で三、越後で一陥落。本庄家寝返り。

 1558年7月 色部家、新発田家寝返り。北越後を奪う。本軍も上野全域を制圧。能登、越中でも上杉家からの離反続出。

 1558年9月 直轄地220万8511石 臣従含めて489万9481石 ここまで大きくなればもう充分、と判断し、自動進行へ……と思ったら三好家に敗北。

 1558年12月 上野から越後の板戸城を陥落させたので、上杉勢の残りは蘆名軍団に任せて、本軍は上野から信濃の武田家を侵攻を計画。武田家はこの時41万石。不戦条約を破棄すると即真田家が寝返り。

 1559年4月 砥石城を陥落させ、斉藤家への侵略路を得たので武田家とは不戦条約。道さえ通せば滅ぼす必要がないので。斉藤家は117万石。美濃と飛騨の全域。北近江、越中の一部、信濃の一部が領国。

 1559年7月 斉藤家の信濃における城を一つ陥落させただけなのに、斉藤家が70万石に。旗下の大名の離反が続出。上杉家は武田家と同じ理由で和睦。

 1559年9月 直轄地264万7425石 臣従含めて541万2202石

 1560年9月 直轄地313万8555石 臣従含めて682万9202石 こんどこそ充分と判断し、自動進行へ。ようやく全国を統一しました。



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